友達家族との新年会

ましゅまろまま

2014年01月04日 04:36

私達が松本に引っ越してきたのは、平成3年の12月26日。

真彩が小1、安沙奈が年少、麻都理が6か月の時でした。

松本来る前は、「信州の人は閉鎖的で、よそ者を受け付けてくれないから、大変だよ。」
と、色んな人に言われたり、本で読んだりしてたので、どうなのかなぁ…って、多少の不安もありましたが…。
それより、「野沢菜漬けるぞ〜!」「畑で野菜つくるぞ〜!」「山行くぞ〜!」「雪遊びするぞ〜!」
みたいな楽しい予感もいっぱいで、不思議と不安より楽しみの方が上まわって、ワクワクしてました。

でも、松本の子達って、雪降ったからって珍しくもないらしく、当時冬休みで、雪が降ったと喜んで外で遊んでるのはうちの子くらい(笑)
極寒の公園に行っても、誰も遊んでる子供も、赤ちゃん連れのお母さんもいませんでした。
今なら、それもなんとなくわかるけど(^_^;)

真彩は三学期から小学校へ、そして、安沙奈は春から保育園の年中に。

その保育園の安沙奈と同級生の仲良し子供達同様、お母さん同士も仲よくなり、その時からの家族ぐるみで仲良しの、我が家を含めて四家族。

毎年貸し別荘で、お泊まりクリスマス会をやったり、旅行をしたり、ご飯食べたり、どの家の子も自分の子と同じに叱ったり、上の子が小さい子の面倒みたりしながら、今に至り、最近は昔程集まれないけど、もう22年のおつきあい。
本当に親戚並かそれ以上かも。

今でも、ライヴに成長した子供達も一緒に来てくれたりします。

お母さんは、一番年上が私の7歳上、次が5歳上、1歳上で、一番下が私。
子供は全部合わせてで9人。
一番上(真彩)と一番下は8歳差。うち、男の子が2人、最年少。
お父さん達もそれぞれ全く違う職種でありながら、みんな仲がよく、よくおつきあいしてくれました。

クリスマス会の時、子供達も色々出し物をやるので、お母さんさん達も何かやろう!と、当時、まだハモネプなんて物もやってなかった時代に、アカペラをやることに。

誰とは無しに言い出したんだけど、『そこそこ歌える2人』と『音楽は好きだけど歌うのは苦手。でもやってみたい…って2人』の4人のお母さん。
その、そこそこ歌えるうちの一人が私…(^_^;)
選曲、アレンジ、そして練習での指導をやることになりました。
初めての年は、『Silent night』と岡本真夜の『アニバーサリー』
あまり歌えない人が、あまり負担にならないためのパート決めとアレンジをそれなりに考えながら、仕上がりは美しくしたい…なんてことを必死で考え。
譜面も書いて、さらに、全員のパートをピアノで弾いたのと、それぞれのパートを他のパートのメロディーを弾きながら歌ったものを、テープに録音して、それぞれに渡して。
10月頃から、夜練。
これが、後に『涙の特訓』と伝説になる(笑)

それを毎年3曲ずつくらいかなぁ、色んな曲をやってました。
もっと早くから練習すればいいんだけど、ギリギリに迫って来ないと仕事が始められない私が、アレンジを決めないと始まらないので、結局10月とか11月頃になってしまって、年末になると『涙の特訓』
今思い出しても、ホント大変で、すごい歌える人ばかり集めてやるわけじゃないから(笑)本番でも、音はずしたり、やり直したり…。

でも、みんなが、そのアレンジがきれいだって言ってくれてたのがうれしかったし、「ちゃんとできれば素晴らしい!」が合言葉だった(笑)

先日お正月2日の日に、その家族で新年会をやりました。
安沙奈の入籍のお祝いも兼ねてということで、一番年上で、大きいお家のT家に、持ち寄りで集まりました。

一昨年結婚したT家のひとり娘Mちゃんの旦那様と、そのお父さんも。

うちは、カニと、スモークチキンとほうれん草のキッシュ、エビホタテとブロッコリーのキッシュを作って行きました。



子供達が小さい時から可愛がってもらってたT家のおばあちゃんも、ご健在。
おばあちゃんは、いまだにひとりで畑をやってらっしゃる。
私が松本に来て畑を始めた時、色々教えてもらったおばあちゃん。
お漬物も、教わった。


たくさんのご馳走。

そして、T家のパパは、とてもマメで行動的な方で、子供達が小さい時の日常、入園式や卒園式、運動会、音楽会や、クリスマス会での私達の歌。
自分の娘だけじゃなく、みんなの分を録ってくれてるんです。
自分の娘の結婚式はもちろん、真彩の結婚式まで!

健吾と安沙奈の入籍祝いにと、鯛のお刺身を造ってくれました!


ビデオテープにして、64本あったものを、最近業者に頼んでBlu-ray6本にまとめてもらって、リスト表も作ってもらったそうです。

子供達の小さい時のかわいい映像や、お母さんアカペラは、ちゃんと衣装も揃えて、振り付けまでして(笑)

でも、自分でも忘れてたけど、久しぶりに聴いてみると、自分で言うのも何ですが(^◇^;)本当にすごいいいアレンジなんだよね〜。
『大きな古時計』のアレンジなんて、我ながら泣けた。
真彩も感心してくれましたよ。
そして、何より痩せてる!(笑)
子供達が「こんな時あったっけ⁈ いつの間にこんななっちゃったの⁈」
って!失礼な!(*`へ´*)

それに、まだ『ましゅまろまま』でもなく、『the APPLAUZ』でもなく、『Bill&Coo』でもなかった頃の私のライヴ映像まで(>人<;)



同じ職場仲間でギター弾く人と、ホント仲間内の余興みたいな感覚でやってたユニットでしたが、私がしっかりピアノの弾き語りもやってた。
もう最近では全く弾かなくなっちゃったけど、やっぱりピアノの弾き語りっていいなぁ。


まだオリジナルは歌ってなくて、ビートルズや、ボブ・ディラン、オールディーズとかのカヴァーをやってました。


そして、子供達の保育園の運動会の映像を観てた時…。

メインで映ってる子供達の競技の向こう側に……。

木陰に座って観覧している、亡くなった私の父が…!
少し横に目をやると、亡くなった叔父も立っていた!

もちろん偶然です。
T家パパは、子供達を撮っていただけで、その向こうにいるじいちゃんのことは、その時は全く気にしていなかったでしょう。

安沙奈の保育園の運動会に、うちの両親と叔父、叔母がわざわざ神奈川、東京から来てくれてたんです。

その偶然の映像に、久しぶりに会う動いている父と叔父の姿を観て、涙が出ました。

ちょうど叔母も今、松本に来てるし、テレビの画面を写メで撮って、帰って母と叔母に見せたら、驚きと感動で、喜んでくれました。

こんなドラマみたいなことがあるんですね。


最初は、転勤でちょっと住むだけくらいのつもりで来た松本。

どんな人達がいるのか、ほんのちょっぴり不安もあった松本。

でも、今はここがすっかり私達の故郷になっています。

本当に素敵な出会いと、人に恵まれて、しあわせです。
皆さん親切にしてくださいました。

今、娘とこんなふうに大好きな音楽ができていることも、奇跡。
でも、この奇跡は、たくさんの人達から頂いた偶然や出逢いのお陰です。

感謝!

楽し過ぎて、みんなで写真撮るの忘れちゃって(笑)最後に残った我が家の三人娘と、T家のMちゃん(左)





ここからまた、チビが増えて、にぎやかになっていくのかな。

ジジババがたくさんで大変だ(笑)


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